無念の死罪
正史とは違う野史(民間で伝承された歴史書)によると、首陽大君の参謀役の韓明澮(ハン・ミョンフェ)が直接つくったリストを手にして王宮の門に立ち、1人ずつ入ってくる大臣たちを見て、武士たちに“殺”と“生”のサインを送ったという。
それを見て武士たちには殺す対象がわかった。
このように、一国の大臣の命が直前まで無名だった韓明澮の手によって決められたのである。なんと理不尽なことか。
首陽大君が行なったクーデターによって、王朝内は大混乱となった。
反逆の首謀者と言われた安平大君と彼の息子は島流しになり、すぐに死罪となった。
こうして、史上最高の名君と讃えられた4代王・世宗(セジョン)の三男だった安平大君は、兄の首陽大君によって命を奪われてしまった。
そもそも、安平大君は素晴らしい才能を持っていた。その才能を国や民衆のために生かせば、どんなに良かったことか。
安平大君自身もさぞかし無念であったことだろう。
(3ページに続く)
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