ちょっと違う描き方
代理聴政で実績を上げれば堂々と王に即位できるのだが、逆にここで失政を重ねると世子としての適性を疑われてしまう。
そうなると、国王の座が危うくなる。
それだけに、世子が代理聴政をするというのは、夜も眠れないような緊張感が伴うものであった。
何よりも、政治の中枢にいる官僚たちとうまくやっていくことが難しかった。
実際、『雲が描いた月明り』で描かれていたように、孝明世子が代理聴政をしたときというのは、国王の権力が弱くて高官たちが実権を握っていた。
そんな難しい立場であった孝明世子は改革で実績を上げた。
国王になれば素晴らしい名君になることは間違いなかったのだが、残念ながら急な病に倒れて、1830年に21歳の若さで亡くなってしまった。
これは悲劇的な出来事だったのだが、『雲が描いた月明り』はちょっと違う描き方をしていて、ストーリー的には見る人をしっかり満足させてくれる。それだけに、『雲が描いた月明り』を一気に連続で見て、大いに笑って、ハラハラして、パク・ボゴムにウットリしよう。
文=「チャレソ」編集部
コラム提供:チャレソ
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