仁宗(インジョン)は、27人の王の中でもっとも親孝行した立派な人物なのだが、性格はかなりのお人好しだ。しかし、その性格を利用されて、彼は自分の命を危険にさらしてしまう。
親のために死を選ぶ覚悟
1515年、峼(ホ)は、11代王・中宗(チュンジョン)と二番目の正室である章敬(チャンギョン)王后の間に生まれた。しかし、章敬王后が出産から6日後に亡くなってしまったため、彼は三番目の正室である文定(ムンジョン)王后に育てられた。
その文定王后が、1534年に息子の慶源大君(キョンウォンデグン)を産んだ。彼女は「自分の子を王にしたい」と思ったが、前妻の子で世子(セジャ)に指名されていた峼がいたため、それは難しかった。それでも文定王后は諦めず、世子を亡き者にしようとして、峼が妻と休んでいた宮殿に火を放った。
異常な熱気を感じた峼は、火事に気付いて妻に先に逃げるように言うと、宮殿の中で座った。その火事が文定王后の起こしたものだと見抜いていた彼は、自分の死を望む親のためにと、自ら死を選んだ。
峼の妻は、そんな夫の行動に驚きを隠せなかった。
さらに、妻は「夫を見捨てて逃げるわけにはいかない」と思い、一緒に宮殿の中に残った。しかし、夫婦は宮殿が崩れ落ちる前に助け出されたため、文定王后の策は失敗に終わる。
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仁宗(インジョン)の毒殺を狙った文定(ムンジョン)王后の悪行とは?