9代王の成宗(ソンジョン)は政治的には名君でしたが、女性問題で王宮を騒がせたことが何度もありました。その最たることが、燕山君(ヨンザングン)の生母が廃妃(ペビ)になった事件でした。
呪術的な儀式
成宗にとって不運だったのは、最初の妻が10代で病死してしまったことです。王はすぐに再婚するのが常でしたから、成宗は二番目の妻として尹(ユン)氏を迎えます。彼女は側室から王妃に昇格したのです。
尹氏は非常に嫉妬深い人で、成宗の側室を呪い殺そうとしました。そういう行為は大罪にあたります。なぜなら、朝鮮王朝時代には、呪術的な儀式で本当に人を呪い殺すことができると信じられていたからです。
現代的な感覚では「まさか?」と思うかもしれませんが、朝鮮半島には有史以来、独特のシャーマニズムが根づいており、呪術的な儀式を受け入れる下地がありました。
そもそも、シャーマニズムというのは、シャーマン(霊的なものと直接的に通じる宗教的な霊能者)を介して神霊や死霊などと交渉する原始的な呪術や宗教現象を言います。
このシャーマニズムの影響が朝鮮半島では歴史的に特に強く、現代でも朝鮮半島の地方に行くと、シャーマンを介して亡くなった人の霊と通じようという儀式が行なわれているのです。
朝鮮半島では、シャーマンは主に巫堂(ムーダン)と呼ばれています。
現代でも巫堂の霊的能力を信じる人がいるくらいですから、古い慣習が残っていた朝鮮王朝時代はなおさらでした。
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