李成桂(イ・ソンゲ)/朝鮮王朝人物紀行21

太祖が犯した失敗
八男の芳碩が後継者に指名されたことが許せなかった芳遠。そんな彼の動向を警戒したのが、李成桂の側近である鄭道伝(チョン・ドジョン)だ。彼は、先妻の息子たちが「後継者の座を狙う可能性がある」と考えて、先手を打って排除しようとする。
しかし、鄭道伝の企みは芳遠にバレていた。彼は兄弟たちを全員助け出すと、この一件を口実に、逆に鄭道伝と異母弟の2人を殺害してしまった。これが「第一次王子の乱」である。
愛する子を失った悲しみからか、李成桂は政治への興味を失って1398年に退位した。こうして、実権を握った芳遠だが、彼はそのまま即位すれば王位簒奪の汚名を被ると思って、二男の芳果(バングァ)を次の王に推薦した(長男の芳雨(バンウ)はすでに亡くなっていた)。こうして、芳果が2代王・定宗(チョンジョン)となって、芳遠は軍事力を掌握して影の王として君臨した。
1400年、王位に野心を燃やした四男の芳幹(バンガン)が王位を狙うクーデターを企てるが、強大な力をもつ芳遠には敵わなかった。これが、「第二次王子の乱」である。


争いを鎮圧した芳遠は、芳果から王位を引き継いで、ようやく3代王・太宗(テジョン)として即位した。
李成桂の建国した朝鮮王朝。その幕開けは、彼の息子たちによる骨肉の争いが頻発した悲しいものだった……。

文=康 大地〔コウ ダイチ〕
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2019.10.10