貞純王后(チョンスンワンフ)/朝鮮王朝人物紀行16

貞純王后にかけられた毒殺疑惑

1776年3月5日に82歳で世を去った英祖。彼の後継者として選ばれたのは、荘献の息子である祘(サン)だ。しかし、貞純王后は祘が次の王として即位することを妨害した。そのためにいろいろと策をめぐらしたが、すべて功を奏せず、1776年3月10日に祘が22代王・正祖(チョンジョ)として即位した。
正祖は父親の荘献の死に関わった者たちを処罰するが、彼にとって祖母に当たる貞純王后への対応は難しかった。朝鮮王朝では儒教を国教にしていたため「孝行」が最高の徳目になっていたからだ。この辺りのことは、ドラマ『イ・サン』で次のように描かれている。
正祖が22代王として即位した直後、大罪を犯した容疑者と見られた貞純王后は自決を図って、翌朝に寝床で倒れているところを発見される。一命を取り留めた彼女は、御前会議の場で正祖に謝辞を述べた。そんな感じで、ドラマでは貞純王后が自省を装って罪を逃れようする展開で描かれている。
一方、実際の歴史では、処罰に抵抗した貞純王后が断食を行なったと記録が残っている。王の祖母に断食をさせたことに対して、官僚たちは議論を重ねる。その状況で貞純王后を処罰できるはずもなく、彼女の罪は不問となった。

それからしばらくは目立った行動をしなかった貞純王后だが、1800年6月に再び表立って行動するようになった。このとき正祖の命はかなり危険な状態で、病床に伏せていた。そこへ貞純王后が現れて、王の症状が英祖の症状と似ていることを伝え、そのときの薬を処方するように言ったのである。
その後、彼女は驚くべき行動に出る。なんと、自分が看病すると言いだして、高官たちをみんな部屋の外に出してしまったのだ。しばらくして、部屋の中から貞純王后の泣く声が聞こえ、高官たちが慌てて部屋に入ると正祖はすでに亡くなっていた。それは1800年6月28日のことだった。
正祖が世を去った後、貞純王后が王を毒殺したのではないかという噂が広まった。なぜなら、正祖が亡くなったことで一番得をするのが貞純王后だからだ。
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