正祖(チョンジョ)の生涯を描いた名作『イ・サン』には毒殺説がまったく出てきません。韓国で「正祖毒殺説」はあまりに有名なのに、イ・ビョンフン監督は毒殺の疑惑をドラマの中に出さなかったのです。それは、なぜでしょうか。
黒に近い灰色
1800年6月、48歳の正祖は急に高熱を発して亡くなりました。
そのとき、王宮の中では「貞純(チョンスン)王后によって毒殺された」という噂が流れるようになりました。
火のないところに煙は立たない、と言いますが、この噂には十分な根拠があったのです。というのは、正祖が亡くなることで貞純王后は得るものが多くありました。しかも、たった1人で臨終に立ち会っており、そのことがまた様々な憶測を生んだのです。かぎりなく「黒に近い灰色」というのが正祖の側近たちの実感です。
貞純王后は正祖の祖父である英祖(ヨンジョ)の二番目の正室です。宮中で暗躍した女性であり、正祖の父の思悼世子(サドセジャ)の餓死事件でも裏で動いています。
そんな貞純王后は、正祖が亡くなったあと、やりたい放題でした。正祖の息子が10歳で23代王・純祖(スンジョ)として即位しましたが、未成年であったために、貞純王后が王族の最長老という立場で摂政をしました。
すると、彼女は正祖が重用した大臣たちをやめさせて、正祖が進めていた改革をつぶしてしまったのです。それだけではありません。政敵にカトリック教徒が多いという理由で、貞純王后はカトリック教の大弾圧を行なって多くの人を虐殺しました。
結局、貞純王后は摂政を4年間行なって1804年に隠居し、翌年の1805年に亡くなっています。
そのあとの朝鮮王朝は、外戚(純祖の正室の実家)が政治を牛耳り、近代化が遅れて衰退への道を突き進みました。正祖がもう少し長生きして政治改革をやりとげていれば、違う道をたどることができたのでしょうが、この運命だけはどうしようもありません。
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