光海君はどんな国王だったのか5「流罪」

 

最後は済州島
済州島は極悪人が流される流刑の島ですが、光海君はそこまで遠島に行く羽目になるとは想像さえしていませんでした。
船も幕を張って、どこに向かっているかを隠し通して済州島に行ったと言われています。済州島に着いたとき、光海君は島の名前を聞いて絶句しました。そばにいた役人が「王であらせられるときに、悪い官僚たちの口車に乗らなければよかったのでございますが……」となぐさめたそうです。
しかし、意外と済州島の水が合ったかのようで、光海君は余生を延ばして、1641年に亡くなりました。確かに、晩年は惨めでしたが、意外と人間らしい生活ができたのかもしれません。

享年は66歳。これは、歴代王27人の中で四番目の長寿でした。
最後に、光海君と仁祖の違いを1つだけ取り上げます。
光海君は二股外交で後金からの侵攻を防ぎました。一方、仁祖は後金を野蛮な国だと軽蔑しました。こうした態度が後金を怒らせ、朝鮮王朝は何度も侵攻を受けました。

1636年12月には清と国号を変えた後金が大軍で攻めてきて、仁祖は土下座をして謝罪しました。以後、朝鮮王朝は清に干渉され続けます。まさに、仁祖は外交で大失敗をおかしたのです。
政治的には、光海君のほうがはるかに有能だったといえるでしょう。
(終わり)

文=康 熙奉(カン ヒボン)

コラム提供:チャレソ
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2019.08.20