毒殺説の根拠
今まさに、部屋の中には正祖と貞純王后しかいなかった。
しばらくすると、部屋の中から慟哭(どうこく)する声が聞こえた。部屋の外で待機していた高官たちが駆けつけてみると、正祖は息絶えていた。
臨終の場に立ち会ったのは貞純王后だけだった。
果たして、何があったのか。
正祖が不運だったのは、貞純王后に看取(みと)られてしまったことだった。
貞純王后は正祖の父の思悼(サド)世子を死に追いやった張本人の一人であったし、正祖の即位をずっと阻もうとしていた。
そんな政敵が、あろうことか正祖を看取る立場になろうとは……。
その異様な巡り合わせが憶測を生み、正祖の死後には「貞純王后に毒殺された」という噂が宮中に流れるようになった。
根拠は、「正祖の死によって一番の恩恵を受けたのが貞純王后であったこと」「正祖の薬を細工できる立場にあったこと」「臨終の場にただ一人で立ち会ったこと」などだ。
実際、正祖が亡きあとの朝鮮王朝は、貞純王后の思うがままになった。
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