成功体験に酔いすぎた王
科挙といえば、朝鮮王朝でも一番重要な人材登用試験だった。つまり、その後1000年間も続く根幹の制度を光宗は958年に始めたのである。この業績は本当に大きい。
実際に科挙は高麗王朝でも効果を発揮した。優秀な人材が官僚として登用され、王権の安定に大いに寄与した。
それはそのまま地方豪族のさらなる弱体化を意味した。
「政治改革がこれほどうまくいくとは……。これで王朝も安泰だ」
栄光をほしいままにした光宗であったが、成功体験に酔ってしまったのかもしれない。その一方で、帰化人と新進官僚の優遇策に反感を持った既存の臣下たちの不満が高まっていった。彼らの中には王朝創設期の功労者が多かった。そういう人たちを軽視したのが光宗の失敗であった。
王朝に反旗を翻す人たちが次々に現れた。絶対権力に固執した光宗は、疑いのある臣下たちを捕らえて厳しく処罰した。
「いくら監獄を新たに作っても足りないくらいだ」
そんな言葉が交わされるほど、監獄には政治的な罪人があふれた。
光宗の苦悩は深まるばかりだった。その苦悩で自分を見失い、光宗は粛清を繰り返した。こうして治世の後半は血で塗られていった。
文=康 熙奉(カン ヒボン)
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