安堵した世宗
情勢から言っても、太宗が昭憲王后を廃妃にするのは必然だった。ところが、太宗は昭憲王后を不問に付した。世宗の懇願があったのかもしれないが、それ以上に太宗は昭憲王后の功績を高く評価していたのだ。
その功績の一番は、昭憲王后が10人もの子を産んだことだった。そのうちの8人は男子だった。
「8人も王子を産んでくれた王妃をどうして宮中から追い出せるのか」
太宗のこの決定に世宗は安堵した。
以後、世宗と昭憲王后は安寧に暮らした。
世宗は1450年に53歳で世を去ったが、その4年前に昭憲王后は51歳で亡くなっている。
「父と母には大変なご苦労をおかけして、本当に申し訳ないと思っています」
昭憲王后は最後まで実家の没落を嘆いていた。
その心が通じたのか、後になって昭憲王后の父と母は復権して名誉を回復することができた。
文=康 熙奉(カン ヒボン)
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