不幸な時代
中宗の後継ぎは章敬王后が産んだ長男で、中宗が1544年に亡くなった後に12代王・仁宗(インジョン)として即位した。
文定王后も1534年に中宗の二男を産んでいるが、長男が即位しただけに、二男に王位がまわってくることは難しかった。
ところが、仁宗が即位して8カ月で急死してしまった。これには、「文定王后が毒殺したのではないか」という疑いがあり、その可能性もかなり高い。結果的に、文定王后としては、次から次へと自分に有利な状況になっていって、最終的に大妃まで上りつめたのである。
しかし、その裏では、手先となった鄭蘭貞(チョン・ナンジョン)や、実弟の尹元衡(ユン・ウォニョン)が悪行を重ねていた。その末に、文定王后は大妃になれたのだ。
大妃となった彼女は、自分の息子が幼くして王になったことで摂政を担い、私利私欲をあからさまにした悪政を続けた。
それは、『オクニョ 運命の女(ひと)』で描かれたとおりだった。このように、悪女の文定王后が権力を持ったことが、朝鮮王朝にとって不幸だった。
文=康 熙奉(カン ヒボン)
コラム提供:ヨブル
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