鬼室神社
豊璋の弟の子孫が日本に定着した一方で、彼に殺された鬼室福信の一族はどうなったのか。実は、福信の直系が日本に移り住んでいた。
その名は鬼室(キシル)集斯(チプサ)。
福信の息子である。
父が豊璋に殺されたあと、とばっちりで命を落とさなかったのは幸いだった。彼は一族郎党と一緒に日本に逃れてきて、畿内に定住した。
朝廷によほど強い百済系の人脈があったのか。
あるいは、学識が抜きんでていたのか。
集斯は学識頭(教育を司る役所の長官)に任じられた。後に近江の小野(この)に住み、688年に没して埋葬された。
その場所が鬼室神社となった。
訪ねてみると、古びた本殿の裏に石祠があり、高さ1メートルほどの石の扉の中に集斯の墓碑が納められていた。
墓碑をこの目で確かめてはいない。石の扉を開けられなかったので、掲示板の写真で確認したのみである。
写真によると、墓碑はコケシのようにくびれがある形をしていた。高さは70センチほどであろうか。こじんまりした大きさのようだ。
集斯が世を去って1400年以上が過ぎている。鬼室神社の周囲はなだらかな丘陵地帯で、近江を象徴するような広い平野部ではない。起伏のある土地の隅々から小動物がひょっこり姿を現しそうである。
この土地を終の住処にしながら、集斯は亡国となった百済をどのように偲んだのであろうか。
文=康 熙奉(カン ヒボン)
コラム提供:ロコレ
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康 熙奉(カン ヒボン)
1954年東京生まれ。在日韓国人二世。韓国の歴史・文化と、韓流および日韓関係を描いた著作が多い。特に、朝鮮王朝の読み物シリーズはベストセラーとなった。主な著書は、『知れば知るほど面白い朝鮮王朝の歴史と人物』『朝鮮王朝の歴史はなぜこんなに面白いのか』『日本のコリアをゆく』『徳川幕府はなぜ朝鮮王朝と蜜月を築けたのか』『悪女たちの朝鮮王朝』『宿命の日韓二千年史』『韓流スターと兵役』など。最新刊は『いまの韓国時代劇を楽しむための朝鮮王朝の人物と歴史』。
康熙奉(カン・ヒボン)著『宿命の日韓二千年史』(勉誠出版)