「コラム」日韓の二千年の歴史9/京都と秦氏

2019.02.12

京都の広隆寺

 

古代の渡来人の集団の中でも特に有力だった秦氏(はたうじ)。この一族が日本に来たのは、4世紀から5世紀の頃と推定される。以後、秦氏は渡来系として急速に勢力を拡大。彼らは、養蚕機織や農業灌漑の技術を持っていることが強みだった。川に堰(せき)を作って水を分散させて各地に供給するという土木技術は、京都盆地を豊かな農地に変えていく礎となった。

 

広隆寺を建立した秦河勝

映画の撮影所が多かったことで知られる京都の太秦(うずまさ)。この地名に「秦」の字が入っている。このことからわかるように、太秦も秦氏にゆかりがある土地である。
太秦から嵯峨野にかけての土地は秦氏によって開拓された。それによって秦氏は莫大な資産を持ち、大和の朝廷が資金的に頼った。

特に名が知られたのが秦河勝(はたのかわかつ)である。彼は嵯峨野に居住し、大和にいた聖徳太子を援助した。秦河勝が太秦に広隆寺を603年に建立したのも、聖徳太子が仏教の教義を深めるためであった。
広隆寺は古くは蜂岡寺と称され、他に秦寺、秦公寺、葛野寺、太秦寺とも呼ばれた。広隆寺の成立を「日本書紀」はこう伝える。

太子が言った。
「私は尊い仏像を持っている。誰か、この仏像を祀る者はいないか」
秦河勝が進み出て言った。
「臣がこれを拝みましょう」
秦河勝が仏像を受け、蜂岡寺を建立した。
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