「コラム」日韓の二千年の歴史8/高句麗と日本

曇徴と法定
慧慈は悲壮な覚悟を持った。
「人民の苦しみを救われた本当の大聖が亡くなられた。我は国を異にするが、あの方との心の絆を断つことはできないし、1人で生き残ってもなんら益がない。来年のご命日に我も往生する。浄土で太子にお会いして、一緒に衆生を救いたい」
慧慈は自らの言葉どおり、聖徳太子の翌年の命日に往生した。


他に、高句麗から曇徴(どんちょう)と法定(ほうじょう)が610年に来日。当時、高句麗は隋の攻撃を受けて危機に瀕していた。2人の来日には支援を模索する目的もあったかもしれない。
曇徴と法定は聖徳太子と接触。曇徴は五経(儒教の古典で詩経、書経、易経、春秋、礼記をさす)について日本に詳細に伝えた。
曇徴たちは製紙方法や墨の作り方も伝授した。
それが、日本で写経が行なわれる契機となった。高句麗の彩色技術も、仏像の塗装や飛鳥美術の発展に寄与した。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

コラム提供:ロコレ
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康 熙奉(カン ヒボン)
1954年東京生まれ。在日韓国人二世。韓国の歴史・文化と、韓流および日韓関係を描いた著作が多い。特に、朝鮮王朝の読み物シリーズはベストセラーとなった。主な著書は、『知れば知るほど面白い朝鮮王朝の歴史と人物』『朝鮮王朝の歴史はなぜこんなに面白いのか』『日本のコリアをゆく』『徳川幕府はなぜ朝鮮王朝と蜜月を築けたのか』『悪女たちの朝鮮王朝』『宿命の日韓二千年史』『韓流スターと兵役』など。最新刊は『いまの韓国時代劇を楽しむための朝鮮王朝の人物と歴史』。

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2019.02.04