朝鮮王朝で起こった悲劇の筆頭は、英祖(ヨンジョ)が息子のイ・ソン(思悼世子〔サドセジャ〕)を餓死させた事件だ。素行が悪かったイ・ソンに英祖は腹を立てていたが、イ・ソンに謀反の疑いがあるという告発も出てきて、ついに英祖の堪忍袋の緒が切れてしまった。
「父を許してください」
旧暦の1762年閏(うるう)5月13日のことだった。
21代王の英祖(ヨンジョ)は息子のイ・ソンを呼び出した。
父の叱責を恐れて震えながらやってきたイ・ソンが見たのは、刀をふりかざして激怒している父の姿だった。
イ・ソンは地面に頭をこすりつけて謝罪した。
「お許しください。もう二度と意にそぐわないことはいたしません」
そんな息子に対して英祖は、冷酷な言葉を浴びせた。
「自決せよ。今すぐにここで自決するのだ」
恐るべき父の剣幕に、イ・ソンは顔面が真っ青になった。
地面にこすられた額から血がふきだしていた。
高官たちも英祖のそばにいたが、彼らも国王を説得することができなかった。それほど英祖は血相を変えていた。
イ・ソンの息子のイ・サンも、助命嘆願にやってきた。
まだ10歳の彼は、祖父の英祖に対して「父を許してください」と必死に哀願した。しかし、可愛いはずの孫も、英祖の怒りを静めることはできなかった。
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