もしかしたら、なにげない街の風景の中で、私(康熙奉〔カン・ヒボン〕)はその青年に何度か会っていたかもしれない……。青年が東京で住んだ部屋は、私の実家から歩いて10分くらいのところだった。青年が通った学校の下車駅は、私が帰宅途中によく乗換駅として利用していた。青年が通った新大久保のアルバイト先は、私が馴染みにしている韓国食堂のすぐそばにあった。お互いの生活空間には重なり合う部分が確かにあった。しかし、私はその青年をまったく知らなかった。
前途有望な青年の死
誰もと同じように、私がその青年の存在を初めて知ったのは痛ましい事故を伝える新聞の報道によってであった。
その青年……李秀賢(イ・スヒョン)さんは、2001年1月26日の夜、新大久保駅で線路に落ちた男性を救おうとして死亡した。
前途有望な青年の衝撃的な死は、日本と韓国の間で燃えたぎるような感動の炎を巻き起こした。
それは、人間を疎ましく思うような事件が相次ぐ中で、かすかに聞こえてきた人間讃歌の歌声だった。
私は新聞やテレビを通して李秀賢さんの遺影を何度か見た。
精悍で、意思の強さがうかがえ、目もとに優しさがあった。
しかも、悲しいほどに若かった。(ページ2に続く)