「コラム」韓国はなぜ分断国家になったのか

2つの政府
単独選挙には南朝鮮でも反対が多く、4月3日には済州島(チェジュド)で武装蜂起が発生し、多くの島民が虐殺されてしまった。これが「4・3事件」である。
さらに、独立運動の闘士で人望があつかった金九(キム・グ)も「朝鮮半島南部だけで選挙を行なうことは分断の固定化を招く」と考え、統一した政府の樹立に尽力した。北朝鮮にまで出向いたのだが、結局は失敗に終わり、後に金九は暗殺されてしまった。
国連の監視下で、1948年5月10日に朝鮮半島南部だけで総選挙が行なわれた。その結果を受けて国会が開かれ、憲法を制定する作業が進み、「親米」「反共」を鮮明にしていた李承晩が大統領に選出された。そして、1948年8月15日に大韓民国の樹立が宣言された。
記念式典の演説で李承晩はソ連を強く非難した。
大韓民国の成立を受けて、北朝鮮も素早く動いた。
金日成を首相とする朝鮮民主主義人民共和国が9月9日に成立した。
金日成は大韓民国の成立を激しく罵倒して、祖国統一を第一の目標にすることを宣言した。
こうして朝鮮半島は、お互いに正統性を主張する2つの政府によって分断され、それが後の朝鮮戦争という悲劇につながってしまった。


文=康 熙奉(カン ヒボン)
コラム提供:ロコレ
http://syukakusha.com/

康 熙奉(カン ヒボン)
1954年東京生まれ。在日韓国人二世。韓国の歴史・文化・社会や、日韓交流の歴史を描いた著作が多い。韓国の兵役も長く取材している。主な著書は『知れば知るほど面白い朝鮮王朝の歴史と人物』『宿命の日韓二千年史』『韓流スターと兵役』『朝鮮王朝と現代韓国の悪女列伝』など。

 

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