高麗王朝の初代王であった王建(ワン・ゴン)。韓国時代劇の主人公になった英雄だが、彼には非常に多くの子供たちがいた。それは、彼が王朝を建国する過程で「あること」を繰り返した結果であった。
29人の夫人
877年に開城(ケソン/当時は松岳〔ソンアク〕と呼ばれていた)で生まれた王建は、小さい頃から武芸と学問に励み、特別な才能を発揮していた。
長じて文武に秀でた武将となった彼は、918年に「高麗(コリョ)」を建国。衰退していた新羅(シルラ)を吸収して、936年に朝鮮半島を統一した。
それほど強大になった王朝の創設者だった王建。歴史的には「太祖(テジョ)」と呼ぶれている。ただし、朝鮮王朝をつくった李成桂(イ・ソンゲ)も「太祖」と称されているので、区別するために「太祖王建」と呼ばれることも多い。
この王建のことで特筆すべきは、子供の数があまりに多かったということだ。一説によると、王建には25人の王子と9人の王女がいたと言われている。
なぜ彼には子供がそんなにいたのか。
それは、王建が勢力を拡大する過程で、結婚を繰り返したからだ。つまり、彼は「重婚の帝王」と呼ばれる存在で、29人の夫人がいたとされている。それも、ほとんどが政略結婚なのである。(ページ2に続く)