つらい思いを抱えた王
「世子さえいなくなれば……」
そう考えた文定王后は、自分がお腹を痛めて産んだ明宗を絶対に王にしたいと考え、世子の命を狙うようになった。
しかし、暗殺の危機を乗り越えて、世子は1544年に中宗が亡くなったあとに12代王になった。これが仁宗(インジョン)である。
彼は人徳があり親孝行な王だった。そんな仁宗の命を狙い続けた文定王后。その執念は凄まじかった。
結局、仁宗は即位して約8カ月で急死した。
文定王后に毒殺されたと見られている。
いずれにしても、仁宗の急死によって、明宗が13代王として即位した。仁宗に子供がいなかったので、弟に出番がまわってきたのである。
明宗が王になったとき、まだ11歳だった。
王が未成年で即位すると、王族の最長老女性が政治を代行することになっていた。その役を担ったのが、明宗の母の文定王后だった。
これは、朝鮮王朝の民衆にとって不幸なことだった。なぜなら、文定王后は一族で政権を独占し、賄賂政治で不正を横行させたからである。
当時は凶作が多かった。しかし、代理政治を行なった文定王后は民衆の困難に目を向けず、国中に餓死者があふれてしまった。
明宗は頭が良く、心が優しい少年だった。しかし、母が政治を代行しているので、彼はどうしようもなかった。
玉座に座りながら、どんなにつらい思いをしていたことか。彼は、悪女の典型とも言える母によって苦しめられた。(ページ3に続く)