「恐怖」が不可能を可能にします。
当時は六十人が一小隊で、六小隊が集まり中隊を構成します。私の小隊の部屋は練兵所の三階にあり、一番後に点呼を受けます。
パンツ一丁で順番が来るまで立って待ちます。内務班はドアがないので下で行われる点呼の様子がつつぬけです。さらに通路がコンクリートですのでよく響きます。恐怖が響いてくるようです。いくらよく整理整頓し、鉄砲の手入れがよくできていても、上官が今日は気合を入れる日と決めていれば、いろんな難癖をつけて小隊を恐怖のるつぼにしてしまいます。
「このヘルメットの手入れはなってない」
「何で下着が汚いのか」
といちゃもんをつけ、指揮棒で、整頓されたヘルメットをコンクリートに叩きつけます。その音が新兵の悲鳴と相まって上で点呼を待っている兵士に恐怖感を掻き立てます。
実際点呼を受けてみると下で行われている音や悲鳴からくる恐怖感に比べればさほどではなく、日本の「案ずるより産むが易し」ということわざ通りです。人は小さなことを想像で膨らましていき恐怖を拡大再生産することがよくわかりました。
私はこれを「前衛恐怖」と名付けました。
このように軍隊は一糸乱れぬ行動を元に統率しなければならないので、人間の持つ「恐怖」を利用して強い組織にしていくのだと知りました。
けれども、古参班長や下士官らは時として個人的な感情から新兵をいじめたりしごくので、恨みをかったりします。
訓練が終わり各部隊に配属される前に、市内の食堂に訓練所の教官を呼んで私費で慰労会を設けますが、酔ったふりをして意地の悪かった教官を吊し上げたりして訓練所での仕返しをしたもんでした。
文=権鎔大(ゴンヨンデ)
出典=『あなたは本当に「韓国」を知っている?』(著者/権鎔大発行/駿河台出版社)
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