●看板もキツイ
韓国の町を歩くと、そこかしこに標語や警告などが目に留まりますが、その表現がきついというか、大上段に構えたものが多くみられ、日本との違いを感じます。
昔は、「サウミョンソ コンソルハジァ」(戦いながら建設しよう)、「ジャスヘソ グァンミョンチャッチャ」(自首して光明を取り戻そう)など、北を意識しながら近代化を進めるスローガンがよく見受けられました。
「戦いながら建設しよう」とは、軍事的に対峙している北朝鮮と戦いながら、経済発展を成し遂げようという国としての方向性を。「自首して光明を取り戻そう」とは、北から潜り込んできたスパイに自首を呼びかけた標語です。
七十年代は北朝鮮の軍事的脅威(今も続いていますが)のなか、経済建設に拍車をかけていた時代でしたので、衝撃的で勇ましいものが多くありました。戦前の日本の「欲しがりません勝つまでは」というスローガンを思い起こさせます。
北との戦争への危機感と、早く経済的な自立を成し遂げなければならないという緊迫感が漲っています。
他にも、七十年代はじめの「チョンダン オヌヌン チョンジン」(中断なき前進)や「ウイシムナミョン タシ ポゴ スサンハミョン シンゴハジャ」(もしかしてと思ったらもう一度確かめ、怪しかったら申告しよう)といった、建設に邁進しよう、スパイに気を付けようという標語が街のあちこちに掲げられていました。
現代においては、このような直接的で国家的なスローガンはなくなり、成熟した社会になり道徳的生活的なものが多く見られます。先ほどの「ダンベコンチョ イゴセ ポリジ マセヨ」、「チョグク タンエ ポリヌン ヘンイイムニダ」(タバコをここに捨てないでください。祖国の地に捨てる行為です)などがそうです。
●居眠り運転の先には何がある?
以前にもお話ししましたが、韓国は今も、国が北の侵略の脅威にさらされているという現実と韓国戦争で国土が焼け野原になったことや日本に国を奪われた歴史から、常に国を意識せざるを得ないトラウマがあるのです。口うるさく自己主張の強い韓国民が、アメリカにも日本にもない、世界でも少なくなった徴兵制度に何の異を唱えずにいるのも、このような現実と歴史的背景があるからです。
日本の交通安全の標語には「シートベルトの着用」、「飲酒運転の戒め」、「交通マナーを守ろう」というものが多いですが、ソウルのトールゲート(有料道路の料金徴収所)にこんな標語があったのでひかえてきました。「キョウ チョルメ モクスムル コシゲッスムニカ? 」(チョットした眠気に命を懸けますか)、「チョルムウンジュンネ チョンチャクチヌン イ セサンイ アニムニダ」(居眠り運転の終着駅はこの世ではありません)、いかがでしょうか。ドキッとした標語ではありませんか。この標語からもわかるように、韓国は居眠り運転が多く、高速道路にはサービスエリア以外にも眠気を覚ますエリアが別に設けられています。
軍事革命がおこった一九六一年以前の韓国人は、比較的ゆったりしていたようですが、革命以後軍事的にも経済的にも優位に立っていた北朝鮮を追い越し、北からの侵略を防ぎながら経済の自立により国民にひもじい思いをさせないため、早急に経済建設を推し進めていかなければなりませんでした。その国家的命題から、なにごとも「パㇽリパㇽリ」と性急に進めていった結果、世界でも稀に見る短期間で経済成長と民主化を成し遂げた国になりました。その余波が最近の一連の事故などの発生につながっています。韓国ももう少しペースを緩め、「あの世が終着駅」にならないよう心する必要があります。現在、高度成長の後遺症からいろいろなひずみが出ておりますが、必ずや克服しより安全で住みよい国作りをするはずです。
標語の話が出たついでに私の心に残っている標語をご紹介します。
「スンガンネ ソンテギ 10シムニョヌル ジャウハンダ」(瞬間の選択が十年を左右する)、というもので「製品を選び間違えると、十年間苦労する」というメッセージが込められている一九七〇年代の洗濯機のコピーだと記憶しています。
北と戦争状態(停戦中)にいる韓国にとって、常に瞬間の選択が強いられている潜在意識をついたキャッチコピーです。
文=権 鎔大(ゴン ヨンデ)
出典=『あなたは本当に「韓国」を知っている? 』(著者/権鎔大 発行/駿河台出版社)
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