安定しない王の座
仁穆王后も自分の息子を王にしたかったのが、永昌大君は当時まだ2歳だったため、それは無理だった。
やむなく、光海君を王として即位させた。
こうして15代王となった光海君だが、彼を支持する大北(テブク)派の人たちは、「王になったからといって立場が安定したわけではない」と危機感を募らせる。
その理由は、兄の臨海君や異母弟の永昌大君が王の座を狙ってくる可能性があると思っていたからだ。
大北派にとって、地位を揺るがす恐れのある臨海君が邪魔だった。彼がいることによって、光海君の王位が中国の明になかなか認められなかった。
文=康 大地(コウ ダイチ)
コラム提供:ロコレ
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