第33回 朝鮮王朝一の美貌を誇った王女
ドラマ『王女の男』で、女優のホン・スヒョンが演じたことで広く知られるようになった敬恵(キョンヘ)王女。ドラマの中で描かれた彼女の境遇は、天国から地獄に落ちたような感じだったが、実際はどんな人生を歩んだのだろうか。
姉として端宗を見守る
敬恵王女が生まれた1435年は、4代王・世宗(セジョン)が統治する時代で、父親は王の後継者に指名されていた珦(ヒャン)だ。母親の顕徳(ヒョンドク)王后は、後に6代王・端宗(タンジョン)となる息子の弘暐(ホンウィ)を産むが、衰弱して出産から数日後に世を去ってしまう。
1450年、敬恵王女が15歳のときに父親の珦が5代王・文定(ムンジョン)として即位するが、もともと病弱で床に伏せることが多かった。心配していた敬恵王女は、「ずっと父の近くにいてあげたい」と思うが、王族の女性は10代半ばで嫁がなければいけないという慣例があった。
敬恵王女もその慣例に従って、名家出身の鄭悰(チョン・ジョン)の妻となる。当時は、結婚した王女は王宮を出なければならないのだが、娘をとても可愛がっていた文宗は、王宮の近くに立派な屋敷を建ててあげた。敬恵王女と鄭悰の夫婦はそこに住むことになったのだ。
1452年に文宗が世を去り、息子の弘暐が後を継いで6代王・端宗となった。彼はまだ11歳と幼かった。本来なら王の母か祖母が代理で政治を行なうのだが、すでにどちらもいなかったため、文宗の遺命を受けた忠臣たちが端宗を支えた。しかし、姉への依存心が強かった端宗は、敬恵王女の屋敷にひんぱんに通うようになった。(ページ2に続く)