私は子供の時から外国に興味がありました。
済州島(チェジュド)に生まれ育ったせいか、ずっと島から脱出しようと思っていました。詳しい計画はなかったのですが、漠然とした外国への憧れがありました。
とりわけ日本を選んだ理由は、いや日本語を勉強し始めたきっかけは、小学校を卒業して日本へ移り住んだ幼馴染がいたからです。
彼女が日本に行ってからは1年に1回くらい手紙のやり取りをしていましたが、思春期を迎えてどんどん乙女の言葉に進化していく私に比べて、彼女からの手紙は小学生で止まった文章力そのままでした。
これでは思春期の悩み相談はとうていできない!
それどころか、このままでは言葉が通じなくなる危機感すらあり、思いついたのが私から日本語を覚えて日本語で喋ろう、ということでした。
今は彼女と日本語で喋っています。オーストラリア人と結婚してすでに日本には住んでいませんが、彼女との会話は日本語のほうが楽です。
本格的に日本語の勉強のために東京へ来たのは1996年でした。当時は韓流ブームもなく、特に若者の中では韓国の存在があまり知られていなかったと思います。
とはいえ、日本人が思う韓国と韓国人に対しての認識があまりにも薄すぎてショックを受けました。
人格で人間を判断すべき
当時、親の反対を押し切って勉強に来たので学費や生活費を自分で稼がなければならない貧乏な留学生でした。
午前中は日本語学校で授業を受け、授業が終わったら夕方まで教室に残って宿題をしました。
また、夕方から夜中まではバイトをしていて、そのバイト先で出会った日本人から「日本に稼ぎにきたんでしょ?」「韓国ってどこにあるの?」「中国のどこ?」と言われました。
冗談まじりだったかしれませんが、無神経な質問をされて傷つきました。いや、無神経じゃなくきっと無関心でしょうね。無知でもあろうし、彼らが日本人の平均だの代表だのと思ってはいませんが、ショックはショックでした。
いくら落ちこぼれでも日本がどこにあるかくらい韓国の若者は知っているからこそつらかったです。身が縮まる思いでした。犯罪を犯しているわけでもないのに、日本人の前に立つと心細くなるというか、なぜか自信がなくなりました。韓国人という理由だけで日本人に劣等感を感じてしまいました。
よく考えてみると、私だって韓国に来ているベトナム人、中国人、フィリピン人、インド人を見かけると、単なる出稼ぎに来ている外国人としか見ていなかったことに気が付きました。
深々と反省しました。すぐに考え直しました。国籍で人を見るのではなく人格で人間を判断しよう、と。親の言う通りに、結婚適齢期に結婚すればこんなつらい経験しなくて済んだはずですが、私は決して後悔はしていません。
私がもし日本人だったら
充実な日々を送りながら毎日新しい経験ができ、間違えた考え方を自ら修正できるチャンスを得て本当によかったと思います。
もちろん、良心的な日本人もいましたよ。初対面で私が韓国人ですと紹介したらいきなり謝ってくれました。
「昔のことで私がやったことではないんだけど、日本人として謝罪します。ごめんなさいね」
なんて優しい人なんだろう。一生友達にしたいし、こういう日本人もいるんだ、と良い意味で相当ショックを受けました。私が日本人だったら韓国人に謝罪できたのかしら。さあ、おそらくしないでしょう。
最近よく思うのは、「日本人はあまり怒らない」ということです。原発の事故のときも、東京電力と政府が判断するまで根気強く見守っていたと思います。韓国だったら、すぐに大きなデモになります。韓国人って気が短くて怒りっぽいのでしょうか。
会社でも同じような経験をよくします。私が勤める会社は中国から商品を輸入していますが、国内検品をすると、毎回同じミスが発生しトラブルが絶えません。しかも、注意をしてもなかなか直らないのです。
ところが、担当の日本人の上司は相手に怒らないのです。かえって、そばにいる私がカリカリしています。私って怒りっぽいのかしら。やっぱり、日本の人って、おとなしい人が多いですね。
文=スヨン
コラム提供:ロコレ
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