第1編/朝鮮王朝の初代王〔その1〕
韓国時代劇の8割以上は朝鮮王朝時代が舞台になっている。それだけに、朝鮮王朝の歴史がわかれば、さらに面白く時代劇を見られる。特に、王朝絵巻の主役は27人の王。そうした歴代の王は、果たしてどのような時代を作っていったのか。
大耳将軍と呼ばれた
世界史でも有数の長寿国家「朝鮮(チョソン)王朝」を作りあげた李成桂(イ・ソンゲ)。彼は1335年に生まれた。
幼い時から聡明で豪胆。近隣の村で彼を知らない者がいないほど弓の扱いがうまかった。早くから武人としての才能をみせてきた李成桂は、高麗(コリョ)王朝の武将となって数十回の戦闘に加わり多くの手柄をあげた。
特に、庶民の生活を脅かす紅巾賊と、朝鮮半島沿岸を荒らす倭寇を掃討したことで、庶民からの信望を一手に集め、彼の名声は全国に轟いた。
人々は彼の大きなからだと耳に注目し、尊敬と畏怖の感情を込めて「大耳将軍」と呼んだ。
また、李成桂は武芸に秀でるだけでなく性格もとても穏やかで、継母を大切にして、異母兄弟たちとも非常に仲が良かった。
ある日、李成桂は妻の実家を訪ねる途中、日が暮れてしまい、小さな寺で一夜を過ごした。その夜、彼はとても奇妙な夢を見た。
夢の中で李成桂はほとんど崩れかけた古い建物の中にいた。案の定、建物が突然崩れ、中から出てきた立派な3本の柱をもらった。
ただの夢なのになぜか気になった李成桂は翌日、高名な僧に夢払いを頼もうとその内容を話した。
すると、僧は姿勢を正して、「そんなに偉い方とはお見受けしませんでした。どうぞお許しください」と言うのだった。
夢で見た王の姿
突然のことに面食らった李成桂は、僧にどうしたのかと問いただすと、僧は辺りを見回してから静かに言った。
「今後、夢の話は誰にも話してはいけません。万一、話をすれば大きな罰を受けることとなるでしょう」
李成桂の問いには何も答えず、僧は訳のわからない注意を繰り返した。しびれを切らした李成桂が「絶対に他の人には話しませんので夢の意味を教えてください」と言うと、僧は「あなたは後日、必ず王になるはずだ」と答え、その理由を教えてくれた。
「いいですかな。夢で崩れていく家は高麗を指すもので、柱は家の最も重要な材木であり、それを頂いたということは国を背負って立つという意味であります。即ちそれは王の姿につながるものです」
この夢のなぞ解きをした僧こそが、後の李成桂と深い縁を持つ無学大師(ムハクテサ)であった。李成桂は後日この言葉の意味を噛みしめることになる。
時は流れ、順調に出世した李成桂は高麗最高の武将と称されていた。
1388年、中国大陸の大国・明は高麗に対し、領土の明け渡しを再三要求してきた。そのことに頭を痛めた高麗王は重臣たちを一堂に集め、今後の指針を見出そうとして李成桂に尋ねた。
「そなたの働きによって、異民族の侵攻を何度も食い止められた。しかし、奴らは厚顔無恥にも再三我らに領土を献上せよと要求してくる。そなたの武勇をもって奴らを打ち倒し、遼東の地を手に入れてくれないか」
小国が大国にさからってはいけない
王に武勇を認められるのは、武将にとって最大の名誉のはずだった。しかし、李成桂はその言葉を受け入れるわけにいかなかった。
「私は遼東への侵攻は反対でございます。まず第一に小国が大国に兵を向けるのは、兵法から見ても間違っているからです。第二に夏の暑さは兵の士気を下げ、いたずらに兵力を消耗してしまいます。第三に連日降り続ける雨の中の遠征では、兵の間で伝染病が発生する恐れがございます。第四に北方の遼東に兵力を傾けたら、南方の倭寇に対する警戒が疎かになります。以上の4つの理由により北伐は中止すべきでございます」
現状を冷静に分析した李成桂の忠言だが、彼の言葉は武将として同格の崔瑩(チェヨン)に遮られた。
「李将軍の言葉は臆病者のたわ言でございます。彼が4つの理由をもって兵を出すことをやめるのならば、私も4つの理由をもって彼の意見を否定しましょう。1つ、明はいま元
(モンゴル国家)の残党との戦に集中していること。2つ、そのため遼東の防備が疎かになっていること。3つ、遼東を手に入れたら秋には大量の食糧を入手できること。4つ、明の兵士たちは雨の中の戦いに不慣れなこと。これだけの理由がありながら進軍しないのは、絶対にいけません」
高麗において最大の功を成してきた2人の対立に、王は頭を悩ませたが、国家の主である以上、決断せざるをえなかった。
「李将軍の言葉も一理ある。しかし、我が高麗の民の生活を豊かにするためにも、遼東の地を手に入れることは必要なことだ。よって、崔将軍は首都防衛の任に就き、李将軍は10万の軍勢を率いて遼東の地を制圧せよ!」
いくら李成桂でもこれ以上王の命令に背くことはできなかった。
文=慎虎俊(シン・ホジュン)
コラム提供:ロコレ
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