韓流トップ女優のイ・ヨンエがソン・スンホンと共演するドラマ『師任堂 The Herstory 』が大変な話題となっている。『宮廷女官 チャングムの誓い』でアジア各国から絶大な支持を得たイ・ヨンエの久しぶりのカムバック作品だけに、注目されるのも当然かもしれない。
完全事前制作で撮影が進められていて、今年の下半期に韓国・日本・中国で同時放送される予定になっている。
そもそも、ドラマの中でイ・ヨンエが扮する申師任堂(シン・サイムダン)とはどういう女性だったのだろうか。歴史の中の彼女にスポットを当ててみよう。
申師任堂は朝鮮王朝時代の1504年、5人姉妹の二女として生まれた。幼い頃から優れた感性を持っていた彼女は、7歳になると絵を好んで描くようになった。申師任堂の描く絵を見た祖母は、彼女の才能に驚き、当時では高価だった紙を買い与え、積極的に成長を見守っていった。
そのかいもあり、申師任堂はその才能をメキメキと伸ばした。
申師任堂が描いた絵に関する逸話がある。
あるとき、申師任堂が紙にイナゴの絵を描き乾かしていると、それを本物と勘違いした鶏が、絵の中のイナゴを食べようとしたのだ。それほどまでに、彼女の絵画の才能は優れていた。
親孝行に徹していた
優れた感性と知性を持つ申師任堂。彼女は絵画だけではなく幼い頃から儒教の経典や有名な詩人たちの詩集を好んで読み、素晴らしい詩をいくつも世に残した。
代表的な作品が「母を慕って」という詩で、これには親に対する申師任堂の上品な孝行心が込められている。
1522年、18歳になった彼女は、李元秀(イ・ウォンス)という青年と結婚した。しかし、申師任堂を溺愛していた父は、結婚の条件として彼女を自分の手元から離さないことを約束させる。
申師任堂が結婚して数カ月で父は亡くなるが、その願いを尊重したいと思った彼女は、3回忌がすぎるまで実家から離れなかった。その後は、李元秀の家で暮らしたが、その時も頻繁に実家に通うほど孝行心が強かった。また、申師任堂は家族だけではなく、嫁ぎ先の両親も大事にした。
申師任堂は李元秀との間に4男3女を授かった。夫がお金に無頓着だったこともあり、彼女はいつも質素倹約に努めた。しかし、自分の生活が辛くなろうとも、子供の教育に心血を注いだ。
その結果、三男の李珥(イ・イ)は朝鮮王朝儒学者の中で最も有名な1人にまで成長した。
5万ウォン札の肖像画
夫の李元秀は科挙に合格するまで10年間学業に専念したいと言って、家を出て行ったことがあった。しかし、彼はたった数日で妥協して、帰宅してしまう。
その姿を見た申師任堂は、裁縫用のハサミを取り出すと、「夫が夢を簡単に諦めるのなら、私は命を絶ちましょう」と言って、自害しようとした。妻の崇高な気持ちに気付いた李元秀は、大いに反省し、今度は科挙に合格するまで帰宅することはなかった。
子育てや夫の出世を祈る甲斐甲斐しさ、生活に対する倹約ぶり。これらは今もなお高く評価されていて、彼女は「良妻賢母の鑑」「国民の母」として敬われている。
李元秀にとって申師任堂は自慢の妻だった。彼は日頃から彼女の助言にしっかりと耳を傾け、彼女の才能が発揮される機会を作るためにも尽力した。
1551年、李元秀が仕事で地方へ行っている間に申師任堂は47歳で亡くなってしまう。彼女は死の間際にこう語った。
「私が死んでも再婚しないでください。私たちは7人の子をもうけましたから、これ以上増やすことはありません」
申師任堂は、子供たちが新しい母親のもとで苦労させられることを避けたかったのだ。しかし、彼女の願いは、当時の男尊女卑の世界では、なかなか難しい要望といえた。それでも、妻を愛し尊敬していた李元秀は、その言葉を死ぬまで守り通した。
申師任堂は現在、韓国の5万ウォン札の肖像画になっている。彼女は、5千ウォン札の肖像画となっている学者・李珥の母親でもある。母子で紙幣の肖像画になることは、世界でもとても珍しい。
ドラマ『師任堂 The Herstory 』で申師任堂に扮するイ・ヨンエ。彼女がどんな「国民の母」を見せてくれるのか。放送開始が待ち遠しい。
(文=「ロコレ」編集部)
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