尹元衡(ユン・ウォニョン)は、11代王・中宗(チュンジョン)の継妃となった文定(ムンジョン)王后の実弟である。その尹元衡の妾となったのが鄭蘭貞(チョン・ナンジョン)であった。
ドラマは出会いをどう描いたか
妓生(キセン)となっていた鄭蘭貞は、どのようにして尹元衡に近づいたのか。
史実では定かでない。しかし、時代劇『女人天下』では、次のように描いている。
尹元衡は酒席で気に入った妓生を呼ぶのだが、部屋に入ってきたのは別人だった。実は、尹元衡が来ていることを知った鄭蘭貞が、まだ見習いの身でありながら主人に頼み込んで指名をかわってもらったのだ。
尹元衡は、別人が部屋に入ってきて一瞬だけ顔を曇らせるが、鄭蘭貞をよく見てすぐに美貌に引き込まれた。
「おまえのような美人がどこに隠れておったのだ」
尹元衡がそう言うと、鄭蘭貞はこう切り返した。
「私はまだつぼみでございます。水をくだされば、花を咲かせましょう」
尹元衡は、すっかりその気になった。
「おまえを水揚げするのはかならず私だ」
こうして、尹元衡は鄭蘭貞の虜になった。
以上が『女人天下』のストーリーだが、創作なのは明らか。実際には、もっとドロドロした駆け引きがあったことだろう。
極貧の中で育った鄭蘭貞は、上昇志向がとても強かった。
権力がある男を見つけようとして妓生になり、もくろみどおりに尹元衡に近づいた。もちろん、尹元衡が文定王后の実弟であることを知っていた。
こうして尹元衡の妾になった鄭蘭貞は、紹介を受けて文定王后に会うことができた。
文定王后は、鄭蘭貞の抜け目のなさを見抜いた。そのうえで、手先として使えると確信した。
当時、文定王后は、中宗の側室だった敬嬪(キョンビン)・朴(パク)氏の追放を画策していた。
そして、文定王后と鄭蘭貞が組んで起こしたのが1527年の「灼鼠(しゃくそ)の変」だった。
それは、どんな出来事だったのか。世子(セジャ/王の正式な後継者)が住む屋敷の庭に、火にあぶられたネズミの死体が木にくくられていたのだ。それだけでなく、王宮の中心地でも焼け死んだネズミが見つかった。
世子は子年の生まれだった。不可解な出来事は世子の将来を不吉に見せる仕業だったのである。
疑われたのが、敬嬪・朴氏だった。彼女は、文定王后と鄭蘭貞によって悪い噂を流されてしまっていた。
結局、敬嬪・朴氏は王宮から追放された。文定王后と鄭蘭貞が仕掛けたワナにはまったのだ。
鄭蘭貞の行動力を認めた文定王后は、以後も何かと手先として鄭蘭貞を重宝した。
「王妃から認められている」
そんな意識を持った鄭蘭貞は、図に乗ってしまった。悪政の張本人であった尹元衡と共謀して彼の妻を毒殺し、その後釜にすわった。
最終的に鄭蘭貞は、従一品の品階を授与された。この品階をもつと、「貞敬(チョンギョン)夫人」と尊称される。最下層から最上位まで上がったのだから、鄭蘭貞が有頂天になるのも無理はなかった。
しかし、転落が待っていた。
1565年に文定王后が世を去ると、後ろ楯を失った尹元衡夫婦は、急に肩身が狭くなった。王宮には、傲慢な夫婦を恨む人が多かったのだ。
「殺されるかもしれない」
恐ろしくなった夫婦は、王宮から逃げ出し、田舎でひっそり暮らした。
それでも、「追手がやってきて殺される」という恐怖心が片時も離れなかった。
結局、鄭蘭貞と尹元衡は自害した。
数多くの悪行を繰り返した夫婦は、まるで因果応報のように絶命したのである。
文=康 熙奉(カン ヒボン)
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