魚を見て回る度に、威勢のいいアジュンマから盛んに声を掛けられる。けれど、一人旅の途中に活魚を買ってもどうにもならない。「大丈夫、ホラ、食べるところがあるから」。そう教えられて市場の端を見ると、湯気がもうもうと上がっている。観光客が大勢で鍋を囲んでいるようだった。
張保皐の生涯
「うまいだろうなあ」
鯛でも平目でも、刺身を堪能したあとに鍋でしめれば最高の食事だ。
けれど、1人で1匹さばいてもらっても食べきれない。大勢の団体客の中でポツンと1人で食事をするのも侘しい。自分の立場をわきまえているので、しばらく食堂の賑わいを羨ましげに見たあとで、踏ん切りをつけて市場を出た。
すぐに、漁船がズラリと係留されている漁港に出た。このあたりは日本の漁村の風景と変わらない。波に応じて船が時間差で揺れている光景は、小学校時代の朝礼時のふぞろいな整理体操を思わせた。てんでばらばら、というのも、なんだか微笑ましい。
魚港の前の道は車の往来が激しい。莞島(ワンド)は朝鮮半島とは一衣帯水の海で隔てられた島なのだが、莞島大橋が1969年に完成してから、交通量は陸地と変わらなくなった。しかも、済州島へ行く大型フェリーの発着港となっているので、人も多く押し寄せる。橋一つの完成によって、莞島は完全に様変わりした。それが、車の数の多さに現れていた。
この莞島の面積は395平方キロメートル。日本の種子島より一回り小さい。ここにはかつて新羅(シルラ)時代に強大な軍事拠点があった。そのあたりの話はドラマ『海神(ヘシン)』で克明に描かれたが、物語の主人公になっていたのは張保皐(チャン・ボゴ)だった。一体、どういう人物なのだろうか。
張保皐は、生年は不明だが、貧しい船頭の息子として莞島に生まれた。悲惨な生活の末に唐の軍隊にもぐりこんで出世を果たし、朝鮮半島に戻ってからは新羅王から海賊征伐を一任された。そこで、828年、1万の兵を率いて故郷の莞島に陣を構え、海賊掃討作戦を成功させる。それだけでなく、莞島が重要な海上交易ルートに近かったことを活用して、日本や唐との貿易を独占するようになり、強大な富を手にした。こうなると、権力欲を抑えられない。新羅王の世継ぎ問題にも暗躍して影響力を誇示したが、846年に新羅王宮が放った刺客によって暗殺されて生涯を終える。
なんといっても、波瀾万丈の人生がドラマの題材として最適だった。『海神(ヘシン)』でも張保皐は英傑として描かれ、その知名度の上昇にともなって莞島もますます有名になったのである。
文・写真=康 熙奉(カン・ヒボン)
コラム提供:ロコレ