『オクニョ 運命の女(ひと)』に登場する文定(ムンジョン)王后は、歴史的にも政治を我が物顔に牛耳った悪女であった。その悪行の数々は「朝鮮王朝三大悪女」を上回るほどだった。
国王を毒殺?
文定王后は、朝鮮王朝の11代王・中宗(チュンジョン)の三番目の正室だった。
中宗の二番目の王妃が産んだ長男が、後に12代王になる仁宗(インジョン)だ。しかし、その王妃は産後すぐに亡くなってしまう。そこで、中宗は再婚して文定王后が仁宗の継母になったのである。
文定王后は最初こそ仁宗を可愛がっていたのだが、自分も中宗の息子を出産することになった。つまり、文定王后がお腹を痛めて産んだ子を王にしたいと思った途端に、仁宗が邪魔になってきたのだ。
やがて、文定王后は仁宗の暗殺を狙い始めた。
その手先になったのが、『オクニョ 運命の女(ひと)』にも出てくる鄭蘭貞(チョン・ナンジョン)である。
1544年に中宗が亡くなった後、仁宗が12代王として即位したが、わずか8カ月で世を去ってしまう。
実は、文定王后が仁宗に勧めた餅に毒が盛られていたと言われている。
朝鮮王朝27人の王の中で、6人に毒殺疑惑があるのだが、仁宗が一番毒殺された可能性が高い。それほど、文定王后の罪は明らかなのだ。
「朝鮮王朝実録」にも、無理に文定王后が仁宗を呼んで、餅を食べさせる場面が書かれてある。
その餅に毒が盛られていたとすれば、文定王后はなんと恐ろしい継母なのだろうか。
仁宗の死によって、文定王后は自分が産んだ息子を王に就けることに成功する。仁宗に子供がいなかったからだ。
こうして即位したのが13代王・明宗(ミョンジョン)である。
明宗はまだ11歳という未成年だったので、王族最長老であった文定王后が代理で政治を行なった。
その当時、朝鮮半島では長い凶作が続き、餓死する人が多かった。しかし、文定王后は政治の責任者でありながら、何の手も打たずに民を見殺しにした。
実際に、何万人も餓死している。それなのに、文定王后は自分の一族で利権を独占して、政治が腐敗した。
自分の私利私欲で政治を牛耳ったという意味で、文定王后ほどひどい統治者は他にいなかった。
当時の朝鮮王朝は儒教を崇拝して仏教を迫害していたのだが、それに逆らって、文定王后は仏教を信奉していた。
そればかりか、怪しげな僧侶と男女関係にあったと言われている。倫理的にも問題が多い「陰の女帝」であった。
その息子の明宗は、心やさしき王だった。
しかし、母親が実権を握っているので、傀儡(かいらい)の王にならざるをえなかった。文定王后の悪政を間近に見て、どんなに心苦しかったことか。
その心労が命を縮めたのかもしれない。
文定王后が1565年に世を去ったあと、わずか2年で明宗も亡くなってしまった。愛する我が子の生を終わらせた張本人が文定王后だとすると、親としてもこれ以上の悪女はいないのではないか。
文=康 熙奉(カン ヒボン)
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