身内だけで政治を独占
文定王后の息子は13代王・明宗(ミョンジョン)として即位した。
しかし、明宗は12歳と幼く、文定王后は政治を代行した。
彼女は身内だけで政治を独占した。朝鮮王朝は彼女の意のままになったのだ。
こうした政治体制は、明宗が20歳を超えても変わらなかった。
明宗も母の横暴なやり方を止めようとしたが、完全に権力を掌握されていたためにできなかった。
明宗は母の暴政に何度も涙したといわれている。
1565年、文定王后は64歳でこの世を去った。明宗はようやく自ら政治を行なえる立場になった。
しかし、母の暴政の心労がたたってか、2年後にわずか34歳で世を去った。
息子の国王の命を縮めたのは、母の文定王后かもしれない。