【時代劇が面白い】王妃たちが国母であった時代「第4回」

 

悲劇の世子夫婦
済州島(チェジュド)に流罪となった光海君は1641年に66歳で息を引き取った。彼の妻の柳(ユ)氏は、すでに1623年に自決を余儀なくされていた。
光海君に代わって王位についた仁祖だが、1636年に侵攻してきた清に屈伏し、彼は清の皇帝の前でひざまずいて屈辱的な謝罪した。しかも、3人の息子は清に送られて人質となった。


長男の昭顕(ソヒョン)世子は、人質生活の中で西洋の文物に触れて視野を広げた。そして、1645年にようやく故国に戻ってきたのだが、仁祖は外国にかぶれた昭顕世子を嫌った。失意の昭顕は帰国からわずか2カ月で急死した。仁祖が毒を盛ったという説が有力だ。昭顕世子の妻の姜(カン)氏も冤罪を押しつけられて庶民に降格となり、実家も没落させられた。仁祖は昭顕世子夫妻を異様なほど冷遇したのだ。
仁祖の次に王位についたのは昭顕世子の弟の鳳林(ポンニム)で、彼は17代王・孝宗(ヒョジョン)となった。

10年間の治世の後、王位は孝宗の長男に引き継がれた。それが18代王の顕宗(ヒョンジョン)である。
彼の正妻の明聖(ミョンソン)王后は、数多い王妃の中でも一番恵まれた人だ。なにしろ、世子の妻となった後に、夫が王位についたのにともなって王妃にあがり、夫の死後は息子が王位を引き継いでいる。これだけ順風満帆に女性最高のエリートコースを歩んだ女性は朝鮮王朝には他にいなかった。

 

王妃たちが国母であった時代「第1回」

王妃たちが国母であった時代「第2回」

王妃たちが国母であった時代「第3回」

〔王朝哀話〕廃妃になってしまった王妃たち

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コラム提供:チャレソ

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2021.12.08