【時代劇が面白い】千秋太后とは誰なのか/高麗時代の人物と歴史3

千秋太后(チョンチュテフ/964~1029年)は、高麗王朝の初代王・王建(ワン・ゴン)の孫である。彼女が生まれたとき、すでに王建は世を去っていた。しかし、彼の血筋は巨木の根のように時を越えて広がっていた。

 

重婚に励んだ男
千秋太后は5代王・景宗(キョンジョン)の妃であると同時に、6代王・成宗(ソンジョン)の妹であり、7代王・穆宗(モクチョン)の母であり、8代王・顕宗(ヒョンジョン)のおばである。歴代の王とはことごとく血がつながっているのだ。
なぜ、こういうことになったのだろうか。
高麗王朝の始祖となった王建に29人の夫人がいたからだ。子供の数も30人を越えていた。朝鮮半島の歴史上で、王建ほど重婚に励んだ男はいない。


それほど結婚を繰り返した理由は何か。それは、地方に割拠する豪族たちを懐柔するためだった。
王建は高麗王朝を建国したものの、後三国時代の混乱を収拾するためには地方の豪族を束ねる必要があった。そこで彼は結婚を通して各地の豪族と縁戚関係を結び、それによって自分の勢力を増やしていったのである。

特に、高麗王朝が朝鮮半島を統一するうえで大きく寄与したのが、強大な軍事力を持っていた皇甫(ファンボ)氏であり、この一族との婚姻によって生まれたのが千秋太后だった。彼女は父方にも母方にも王建の血があった。
儒教社会となった朝鮮王朝以降では考えられないことだが、高麗王朝の初期には近親による結婚もよくあることだった。
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2021.08.25