【時代劇が面白い】光海君と兄の臨海君!骨肉の争いの結末は?(歴史編)

14代王・宣祖(ソンジョ)は朝鮮王朝で初めて、国王の正室ではなく側室から生まれて即位した人物だ。それだけに、自分はなんとしても正室から生まれた息子に王位を継がせたかった。しかし、それが難しかった。やむなく、側室が産んだ王子の中から後継ぎを選ばざるをえなかった。

 

最悪の屈辱
宣祖の長男は臨海君(1574年生まれ)であり、二男が光海君(1575年生まれ)であった。
普通であれば、長男の臨海君が選ばれるのが当たり前なのだが、臨海君は人間的にその資格がないと判断され、二男の光海君が世子(セジャ/王の正式な後継者)に選ばれることになった。
そんな処遇に怒りをあらわにした臨海君。長男としての面目が立たなかった。
1592年4月に豊臣軍による朝鮮出兵が始まり、朝鮮半島は戦火で乱れた。

開戦当初は豊臣軍が圧倒的な強さを見せ、朝鮮王朝軍は苦境に陥った。
そのとき、義兵を募る目的で朝鮮半島東北部に出掛けていったのが臨海君だった。彼は功績をあげて、自分にも能力があることを示そうとした。
しかし、結果は逆になった。
臨海君は加藤清正の軍の捕虜となり、加藤清正が各地を転々とする中で一緒に引きずり回された。

このことは最悪の屈辱感を臨海君に植えつけた。
しかも、豊臣軍は和平交渉を有利に進めるために、臨海君の人質解放を条件として利用した。臨海君は朝鮮王朝にとってもお荷物になってしまったのだ。
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光海君(クァンヘグン)/朝鮮王朝人物紀行2

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2020.08.29