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韓国人は東アジアの地図を広げては、あの広大な中国大陸の東の端に韓民族の独立国が存在していることに誇りを持っています。中国大陸を支配した満州族の国〈清〉は今はなく、韓半島を脅かしてきた諸民族は跡形もありません。
有史以来五百-一千回も戦乱にまみれたと伝えられている韓民族は、時には武力や外交で、時には貢物を捧げ、その独立と独自の文化を保ってきました。近代において三十六年間の日本の直接統治を除いては。あの中国大陸を支配してきた強大国に飲み込まれることなく独自性を守ってこられたのは強靭な生命力も大きな要因だったと思います。
その生命力は度重なる戦乱つまり人災に如何に対処するかに掛かっています。ですから韓国人は人に対処するノウハウを、日本人は災害に対処する術すべを蓄えてきました。
韓国では人災、対処する相手が人間ですので、自分の才覚しだいでは生き延びることができますが、天災が相手の日本では個人の能力があってもどうにもならないことがあります。みんなで一致団結して自然災害に対処せねばなりません。
●〈日本人〉の歴史観
「個」よりも「和」を保たなければならない日本において個性が際立つと和が乱れるので、自己主張よりも謙譲の美徳を発揮しなければなりません。
一九九四年にノーベル文学賞に輝いた大江健三郎氏がその受賞演説で「あいまいな日本と私」という題で話したぐらい日本人は個の際立ちよりも曖昧さを尊びました。テレビ番組の受け売りですが十六世紀に日本にやって来たポルトガルのルイス・フロイスはその著書『ヨーロッパ文化と日本文化』で「ヨーロッパでは言葉が明瞭であることを求め、曖昧な言葉を避ける。日本では曖昧な言葉が一番優れた言葉で、最も重んぜられている」と書いているがごとく、日本人はハッキリした物言いはしません。
「恐れ入りますが……」「すみません」「ごめんなさい」「失礼ですが……」「申し訳ございませんが……」等の言葉は緩衝、クッション的機能で使われますが、これらの言葉を韓国語や中国語、英語に訳すと全て謝罪の言葉になります。
物事をハッキリさせる西欧文化圏の人や簡単に謝らない中国人、韓国人に対してはこれらの表現はあまりにもへりくだっているだけではなく軽く見られます。それだけでなく本心から謝罪しているのか疑ってしまいます。日本人は何回謝ればいいんだと韓国や中国に苛立ちを見せますが、「侵略の概念がハッキリしない……」「韓国人は喜んで日本の苗字をつけた」等と謝罪の言葉とは裏腹の発言を政府の高官がするものですから、本当に謝っているのかどうか理解に苦しみます。
文=権 鎔大(ゴン ヨンデ)
出典=『あなたは本当に「韓国」を知っている? 』(著者/権鎔大 発行/駿河台出版社)
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