父親である李成桂(イ・ソンゲ/初代王・太祖【テジョ】)の時代に起こった後継者をめぐる骨肉の争い。それを勝ち抜いて3代王となった太宗(テジョン)。彼は、在位中にどのような政策を行なったのか……。
王の座を勝ち取った芳遠
朝鮮王朝初代王・李成桂の五男として生まれた芳遠(バンウォン)。武力に優れていた芳遠は、李成桂の政敵を次々と排除していった。芳遠自身も「王の後継者には自分が選ばれるに違いない」と思っていた。しかし、李成桂が使命したのは八男の芳碩(バンソク)だった。芳遠は、その決定に怒り、1398年に「第一次王子の乱」を起こして、異母弟と側近の鄭道伝(チョン・ドジョン)を殺害した。
しかし、芳遠はすぐには王にならなかった。後を継いだのは、二男の芳果(バングァ)だが、1400年に四男の芳幹(バンガン)が王位を狙ったことで、「第二次王子の乱」が起こった。
その2つの骨肉の争いに勝利した芳遠は、ついに3代王・太宗として即位したのであるが、その裏には、妻である元敬(ウォンギョン)王后の支えがあった。
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李成桂(イ・ソンゲ)が太祖(テジョ)として即位!/朝鮮王朝歴史全集1