第31回 王に仕えた悪の女官
金介屎(キム・ゲシ)は、女官でありながら強い政治力を持った女性だった。その一方で悪女としても知られている。いったい、彼女は女官としてどのような人生を歩んだのだろうか。
女官としての立場
幼くして王宮に入った金介屎。後に14代王・宣祖(ソンジョ)の側で仕えた。
宣祖は、側室から生まれた庶子だったため、正室の産んだ息子を後継者にしたいと考えていた。しかし、最初の正室の懿仁(ウィイン)王后は息子を産むことができなかったので、側室の産んだ息子から選ばざるを得なくなった。その候補にあがったのは、長男の臨海君(イメグン)と二男の光海君(クァンヘグン)の2人だ
朝鮮王朝には「後継者は必ず長男がなる」という決まりがあり、本来なら長男の臨海君が選ばれるのが筋だ。しかし、臨海君は1592年に起きた豊臣軍の朝鮮出兵の際に、加藤清正軍の捕虜となってしまう。そのときの屈辱が忘れられず、臨海君は荒れた生活を送るようになった。
一方、豊臣軍との戦いで大きな活躍を見せた光海君。後継者として立場的に有利だった彼は、金介屎の工作が功を奏したこともあって世子に指名される。
しかし、最初の正室である懿仁王后が世を去った後、光海君の立場を危うくする出来事が起きる。宣祖に新たな王妃として迎えられた仁穆(インモク)王后が、1606年に息子の永昌大君(ヨンチャンデグン)を産んだのである。
念願だった嫡子(ちゃくし)の誕生をとても喜んだ宣祖だが、永昌大君を世子にするという願いは叶わず、1608年に世を去ってしまう。
仁穆王后は、2歳の永昌大君に王位を継がせるのは無理と判断し、世子に指名されていた光海君が15代王となる。その裏では、金介屎がうまく立ち回って光海君の即位に一役買っていた。(ページ2に続く)