第5回「すべての一族が家系書を作り続けた国」
先祖のことが詳しくわかる
先祖の1人に、620年前の王妃がいる。
朝鮮王朝の初代王・太祖(テジョ)の第二夫人だった神徳(シンドク)王后・康(カン)氏である。
朝鮮王朝は一夫一婦制だったが、高麗王朝では重婚が許されていた。その高麗王朝の武将だった太祖には若いときに結婚した第一夫人がいたが、太祖が朝鮮王朝を建国する前年の1391年に亡くなった。彼女は死後に追尊されて神懿(シヌィ)王后・韓(ハン)氏と呼ばれた。
結局、建国当初の王妃には神徳王后・康氏が就いた。彼女は王朝創設期に大きな影響力を持っていたが、1396年に40歳で世を去った。
直後に、朝鮮王朝は大荒れとなった。神懿王后・韓氏と神徳王后・康氏のそれぞれの息子たちが、後継者の座をめぐって骨肉の争いを起こしたからだ。
勝ったのは、神懿王后・韓氏の息子たちだった。敗れた神徳王后・康氏の息子たちは殺され、親族は連座制で済州島(チェジュド)に流された。
そのときまで済州島には「康」という姓の者は1人もいなかったが、神徳王后・康氏の親族が流罪になってから大幅に増えた。その末裔の1人が私で、神徳王后・康氏から下ること19代である。
その間の先祖の名前はすべて把握している。それどころか、生没年、家族、肩書、墓地の場所までわかっている。
なぜそれが可能かというと、一族の詳しい系譜と個人の略歴を記した族譜(チョッポ)があるからだ。
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