韓国時代劇『奇皇后』ですっかり有名になった高麗王朝時代の怪女……それが奇皇后だ。高麗王朝を屈伏させた中国大陸の大国「元」の皇后になるという快挙を達成した女性の波瀾万丈な人生を振り返ってみよう。
早婚の風習もできた
10世紀に建国して朝鮮半島を統一していた高麗王朝にとって、一番の屈辱は中国大陸を支配した元に攻められて、13世紀に屈伏したことだ。以後、高麗王朝は元に服従することになり、さまざまな干渉を受けた。
支配される側になった高麗王朝は、元から多くの貢ぎ物を要求された。
金銀財宝、駿馬、特産物などが多かったが、特に屈辱的だったのが「貢女(コンニョ)」である。これは、貢物として捧げられる女性のことを意味している。
元の貢女要求は記録に残っているだけでも50回以上もあり、元の皇族や貴族が個人的に要求することも多かったという。
貢女問題は高麗王朝にとって大変な弊害であり、娘を貢女にさせまいとして社会全体で早婚の風習ができるほどだった。
いくら元の要求とはいえ、素直に大切な娘を貢女として送り出す親は少なかった。それは、当然のことだ。
しかし、元の要求を無視することはできない。
「貢女を出す家には十分な報酬を出す」
高麗王朝はそういう告知を出したが、それでも元が要求する人数は集まらなかった。やむなく、政府は罪人や奴婢の妻や娘たちを強制的に集めた。
そんな中で貢女に選ばれてしまった女性の中には、自らの不幸を嘆きながら命を断つ者も少なくなかった。
そうした悲しい歴史の中で、異彩を放ったのが奇皇后だ。
彼女は高麗王朝の下級官僚だった奇子敖(キ・ジャオ)の娘だった。
とにかく、評判の美人だった。
それは、当時の元の官僚が「杏花のように白い顔、桃のような紅い頬、柳のような腰」という記録を残したことからもわかる。
奇皇后が貢女として元に行ったのは1333年と言われている。
彼女の美貌を、高麗出身の宦官(かんがん)だった高龍普(コ・ヨンボ)が見逃さなかった。
高龍普は、奇皇后を皇室付きの女性として推薦することで、自分も有利な立場になろうと考えた。
高龍普の狙い通り、奇皇后の美貌は12代皇帝トゴン・テムルの心をつかんだ。彼は奇皇后をとても気に入り、すぐに側室にした。
しかし、奇皇后には恐ろしい敵がいた。それは、トゴン・テムルの正室のタナシルリだった。彼女は異様なほど奇皇后に嫉妬した。
こうなると、奇皇后の立場も危うくなる。よほどうまく立ち回らないとタナシルリに排除されるのが目に見えていた。
タナシルリは元の重臣のエル・テムルの娘である。
家柄の良さで皇后の座に就くことができたのだが、タナシルリ自身の立場も万全とは言えなかった。なぜなら、エル・テムルとトゴン・テムルが激しく対立するようになってしまったからだ。
そんな状況もタナシルリの心を不安定にさせた。彼女は皇帝の寵愛を受ける奇皇后を激しく憎んだ。
(中編に続く)
文・構成=慎虎俊+「韓流テスギ」編集部
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