【時代劇が面白い】仁宗が重病のときに文定王后は何かしたのか(後編)

仁宗(インジョン)が重病に陥ったとき、継母の文定(ムンジョン)王后は、他家に嫁いだ娘の家に行きたいと言って重臣たちを混乱させた。とにかく、反対意見がとても多かった。

文定王后の狙いとは?

重臣の一人が文定王后に言った。
「こんな時期に大妃様が出歩かれるのはいかがなものでしょうか。殿下の病状がよくないとしても、今は看病をお控えくださるのが筋かと思われます。ただみんなを驚かせてしまうだけですから……。人々がそれを知れば、疑いが生じて反乱すら起きかねません」
こうした反対意見を聞いた文定王后は露骨に不快感を示した。彼女はそれでも“仁宗の病床に近い王女の家で待機したい”と要望した。それは“仁宗の病状を心配している私のせめてもの気持ちだ”という意思表示のつもりだったのだろうが、重臣たちが文定王后の外出を簡単に認めるわけがなかった。
なぜなら、王家に嫁いだ女性はどんな事情があろうとも、終生にわたって王宮から出ないことが慣例だったからだ。それは大妃とて例外ではない。むしろ、仁宗の病状が一進一退を繰り返しているときに、大妃が慣例を破るというのは、絶対にあってはならないことだった。

しかし、文定王后は簡単に折れなかった。再三にわたって、外出したいという希望を重臣たちに伝えた。その度に重臣たちは拒絶した。このやりとりは、王宮内部を大いに混乱させた。
なぜ、文定王后は慣例を破ろうとしたのか。彼女が仁宗の命を狙っていたことは王宮内でも広く知られており、「近くで仁宗を見守りたい」という言葉を額面通りに受け取る人はいなかった。
それでも、しらじらしく心配している素振りを見せた文定王后。彼女が“外出”を強硬に主張した目的は二つあると推定される。一つは重臣たちをさらに混乱させること、もう一つは仁宗の病状を王宮の外に知らせることだった。
特に、文定王后が仁宗の重病を庶民に知らせることを狙ったのは間違いない。庶民の間で動揺が広がれば、それは仁宗の王権が揺らぐことを意味していたからだ。自分が産んだ息子(慶源大君)を王位に就けることに執念を燃やした文定王后は、仁宗の容態に神経をとがらせながら、無理難題を持ち出して王宮内をさらに混乱させようと画策したのではないだろうか。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

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