【時代劇が面白い】トンイの宿敵の張禧嬪(チャン・ヒビン)はなぜ死罪になったのか?

一度は廃妃になりながら1994年に王妃に復帰した仁顕(イニョン)王后だったが、長く病に苦しみ1701年8月14日に亡くなった。その後に張禧嬪(チャン・ヒビン)が仁顕王后を呪詛(じゅそ)していたことが発覚し、粛宗(スクチョン)は激怒した。

 

後悔を残さないためにも
粛宗は張禧嬪を厳罰に処す決意を固めた。
1701年9月23日、粛宗は次のような覚書を出した。

「内殿(王妃)が病をわずらった2年間、張禧嬪は1回もお見舞いにこなかったばかりか、本来なら中宮殿(チュングンジョン)と呼ばなければならないのに、閔氏(ミンシ/仁顕王后の姓)と呼んでいた。さらには内殿のことを邪悪な人だと評していたというではないか。それだけではない。就善堂(チソンダン/張禧嬪の住まい)の西側にひそかに神堂を建てて、いつも2、3人の怪しげな者たちと祈祷をして、おかしなことを続けていた。こんなことが許されるなら、一体どんなことが許されないというのか。済州島に流罪となっている罪人の張希載(チャン・ヒジェ/張禧嬪の兄)を先に処刑して、早く国の刑罰を正しく行なうようにせよ」
それから2日後、粛宗は再び覚書を出した。

「罪がすでに明らかになったのに、もしもふさわしい方法が取られなければ後悔を残すことになる。真に国家のために、そして、世子のためにも、張禧嬪を自決させよ」
ついに粛宗は張禧嬪に死罪を命じた。
(ページ2に続く)

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2020.06.22

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