「インタビュー」「プロデュース101」出身ユ・フェスン、番組で得たものは“僕を応援してくれる国民プロデューサー”

写真=10asia

 

単純に考えて当然のように行動した。Mnet「プロデュース101」シーズン2の練習生ユ・フェスンの話だ。

いつも笑顔。練習生の誰とも仲の良い丸い性質のおかげで、ユ・フェスンはプログラムで“ユ・クェスン(“愉快”と“ユ・フェスン”を合わせた言葉)”というニックネームを得た。これについて彼は「両親からもらった性格そのままだ」と述べた。肯定的な思考をしようと努力しなくても、湧き出て来るオーラ自体が明るくて善良だ。

笑顔の後ろには「大変そうな姿は、見せないようにしよう」という思いがあって、仲間の意見に自分の考えをその場で変えてしまう裏で「他人の言うことをちゃんと聞かなきゃ」という当然のような思考が基になった。

Q. FNCエンターテインメントからは、一人で「プロデュース101」シーズン2に出演した。
ユ・フェスン:かなり心配だった。やっぱり一人で出る上に、会社名も知れ渡っているという事で少し負担もあったし、それに相応する実力があるかないか、自ら確信が持てなかった。これまで経験したことのない恐怖があった。

Q. 所属事務所の先輩たちからのアドバイスはあった?
ユ・フェスン:たくさんしてもらった。「出たら上手くやれるはず」「頑張って」という言葉を頂いた。当時N.Flying先輩がたくさんアドバイスをしてくれて、SF9、HONEYST先輩からもアドバイスをしてもらい、応援の映像を撮ってくれたりもした。CNBLUE先輩も応援の映像を撮って送って下さった。

Q. 「プロデュース101」シーズン2の初の録画で1位の席に座った。最初から考えてたの?
ユ・フェスン:いえ。でも上位に座ろうという考えは元々あった。(スタジオに) 入ってすぐに(椅子のある所に) 上がったが、席がなかった(笑) 空いてる席は1位の座しかなかった。また下がるにも恥ずかしいし(笑) だから、1位の席に座った。

Q. 当時ホン・ウンギが1等席に座っていたが、自然に席を譲ってくれた(笑)
ユ・フェスン:もともとそういうものだと思った(笑) 次にイ・インスが来た。腕相撲をしようと提案され、やったら勝った。その次にチャン・ムンボクが来て「酢豚ゲーム」をしたが、負けてしまった。何も考えてなかった。酢豚ゲームするんだ、負けました、ああ、降りなきゃ、ってね(笑)

Q. 合宿の時、両親と電話で「軍隊にまた来た感じ」と話す姿が放送に出た。
ユ・フェスン:雰囲気がよく似ている。肉体労働だとか、疲れ具合は違うけど、団体生活だし、皆男だし、どこかに行く時はグループごとに固まってるし、また一緒にご飯を食べたりとか、給食が出たり、このような事は軍隊の訓練所に来たような感じだった。あ! こんなこともあった。ポジション評価の曲「Right Round」の練習をする時「Get Ugly」チームと一緒に練習をしたことがある。休み時間に僕とチュ・ハクニョン、パク・ジフン、Samuel等と一緒に、ペットボトルで足球をした(笑) うまくできなかったが、それはそれでおもしろかった。そんなのを見て、軍隊みたいな感じがした。

Q. 経験済みだから、団体生活にもすぐに慣れたんだろう
ユ・フェスン:うーん…慣れるまでは1日~2日くらい?(首をかしげて) いつ頃慣れたかな? 今初めて考えてみる(笑) 自然と慣れたのかもしれない。

Q. 「プロデュース101」シーズン2で“ユ・クェスン”と言われた。
ユ・フェスン:とても感謝している。ニックネームも気に入ったし、僕が注目されたきっかけだった。そのニックネームを作ってくださったファンの方にも感謝している。どうにかして恩返しをしたいけれど…(笑)

Q. 実際に肯定的な方なの?
ユ・フェスン:僕は肯定的な方だと考えたことない。こんな風に生きてきた。ただ、両親の下で育ちながら得たんだと思う。

Q. 「プロデュース101」シーズン2の放送前、ソウルにある上岩(サンアム) で、国民プロデューサーに練習生の自筆の手紙を渡すイベントがあった。当時ユ・フェスンの手紙には、自己アピールではなく、国民のプロデューサーの一日を応援する内容が書かれていた。
ユ・フェスン:実はそれが、自己PRする手紙だなんて知らなかった(笑) 国民プロデューサーに手紙を書くように言われ、本当に手紙を書いた。僕は元々単純なので(笑)

Q. 国民プロデューサーから初めて“ユ・フェスン”の名前を呼ばれた時、まさに「Right Round」のステージで感動したとか。
ユ・フェスン:あの時が番組をやりながら最高の瞬間だった。本当に感無量だった。その前に、グループバトル評価の曲「Be Mine」の時、相手チームの練習生たちの認知度が非常に高く、他の声は聞こえなかった。だが「Right Round」のステージで僕の名前が聞こえた時は、感激した。

Q. ステージに上がるまでの過程も大変だったと思う。主なポジションはボーカルだが「Right Round」は、ダンスポジション用の曲だった。
ユ・フェスン:ボーカルポジションの曲で行きたかったけど、行けなくなった。挫折したけど、わざわざ表現したくなかった。目の前にある現実だけを見て「今はダンスだから頑張ろう」と思った。

Q. どうしてもダンスにおいては、他の練習生たちの助けを借りたようだね。
ユ・フェスン:所属事務所で基本技を習い始めた頃に「プロデュース101」シーズン2に参加すると決まって、プログラムの中で実力が速く伸びたと思う。一番記憶に残るのはユ・ギョンモク兄さんとパク・ヒソク兄さん、クォン・ヒョプだ。最初に「PICK ME」のステージを準備するとき、Dクラスの練習を導いたと言えるほどダンスを教えてくれて、そんなシステムを作ってくれた。恐らく、他の子もありがたく思ったはず。また「Be Mine」の時はチェ・ジェウが、ほぼすべてのダンスを創作ダンスに変えて、ダンスブレイクを作って、またダンスを教えてくれて矯正してくれた。とても有り難い。「Right Round」の時は、ダンスポジションが主な子が振り付けを創作して、僕とかキム・ナムヒョン兄さんに教えてくれた。助けてくれた子が多い。

Q. 逆に、ユ・フェスンが他の練習生の役に立った部分は?
ユ・フェスン:ボーカルの部分は僕がたくさん助けてあげた。「PICK ME」を練習する時、アン・ヒョンソプが音がなかなか上がらず苦労した。どうしても短期間で音域を変えることは容易でないから、君ならできると応援してあげて、どうしたらいいのかアドバイスをしてあげた。「Be Mine」の時、イ・ジハンがセンターを務めることになったが、プレッシャーを感じてるみたいで、そのプレッシャーを最大限軽くしてあげようと悩んだ。

Q. 「プロデュース101」シーズン2で記憶に残るエピソードはある?
ユ・フェスン:僕、その中で直感がとても良い人になった。まずは、その日の食事の献立をほぼすべて当てた(笑) 今日は豚肉炒めが出てきそうと言ったらそれが出て来るし。だからナムヒョン兄さんやSamuelが、僕に献立を尋ねたりした。僕もよく分からないけど「今日はなんだかタットリタン(鶏肉と野菜を辛いスープで煮た鍋料理)!」って言ったら、本当にタットリタンが出て来て(笑) 順位発表式の時、ユ・ソンホと並んで座ったら、ソンホが「兄さん、今日僕何位になると思う?」と尋ねられ「15位になる気がする」と言ったら、その日本当にソンホは15位になったんだ(一同笑) (2ページに続く)

2017.07.25