「コラム」第4回 康熙奉(カン・ヒボン)の国王毒殺実録/イ・サン編D

1800年6月、正祖(チョンジョ)は危篤状態に陥った。貞純(チョンスン)王后はこう叫んだ。「私が直接薬を差し上げてみるから、臣下の者たちはしばらく下がっていなさい」。その命令を受けて、重臣たちは部屋の外に下がった。

 

憤慨した臣下

今まさに、部屋の中には正祖と貞純王后しかいなかった。
しばらくすると、部屋の中から慟哭(どうこく)する声が聞こえた。その瞬間、部屋の外で待機していた誰もが「正祖が亡くなった」と覚悟した。
憤慨(ふんがい)した李時秀がその場で叫んだ。


「臣下の者たちが仰いで信じられるのは王大妃殿下(貞純王后)と慈宮邸下(正祖の母の恵慶宮)だけです。東宮(正祖の息子)におかれましてはまだ幼いので、お守り申し上げなければいけませんが、頼れるのはやはりおふた方なのです。それなのにどうしてこのように感情のままに行動なさるのですか。国家の礼法はとても厳正ですから、すぐにお帰りくださいませ」(ページ2に続く)

2017.02.27