「コラム」第9回 高麗王朝の歴史(前編)/康熙奉(カン・ヒボン)の「簡潔に読む!韓国の歴史」

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第9回/高麗王朝の歴史(前編)

 

朝鮮半島の国家のことを英語では「KOREA」と言う。この表記は、高麗王朝が由来となっている。高麗はハングルで「コリョ」と発音するが、この音が元になって「KOREA」という言葉が生まれたのである。つまり、ヨーロッパは高麗を通して朝鮮半島の国家を最初に認識したのであり、今も世界は高麗が元になった国名表記を朝鮮半島に適用している。この一事をもってしても、高麗という国の偉大さがわかる。

 

首都は開京

高麗が建国されたのは918年である。当時は、初めて朝鮮半島を統一した新羅(シルラ)の統治時代であったが、後百済(フペクチェ)、後高句麗(フゴグリョ)といった国が各地に勃興し、新羅の勢力も急速に衰えていた。

その中で、高麗を建国した王建(ワン・ゴン)は優れた戦略で勢力を伸ばし、ついに936年に朝鮮半島を統一した。このあたりの経緯は、チェ・スジョンが主演した『太祖王建』で詳しく描かれている。

歴史から教訓を学ぶとすれば、新羅の国力が衰えたのは朝鮮半島の南東部の慶州(キョンジュ)に都をかまえたことも理由の1つだった。あまりに端にあって、領土全体に目が行き届かなかったのである。

その点、高麗は朝鮮半島の中央に位置する開京(ケギョン/現在の開城〔ケソン〕)に都を構え、全土に目を光らせることができた。(ページ2に続く)

2016.09.27