「コラム」第7回/康熙奉(カン・ヒボン)の「日韓が忘れてはいけない人」

李秀賢さんの肖像写真

李秀賢さんの肖像写真

第7回/李秀賢(前編)

 

犠牲者の1人は留学中の韓国人

線路に落ちた人を助けようとした2人の男性。1人は、横浜市の関根史郎(47歳)さんで、自然の風景や動物を撮り続けてきたカメラマンだった。

「仕事ぶりはまじめで、正義感にあふれていた」

誰もが人柄を褒めたたえた。関根さんの趣味は登山で、新大久保のスポーツ用品店に行った帰りに事故に巻き込まれたようだ。

もう1人は誰だったのか。

すぐにはわからなかったが、やがて留学中の韓国人だとわかった。

それが、26歳の李秀賢(イ・スヒョン)さんである。

李秀賢さんは日暮里にある赤門会日本語学校に通いながら、新大久保のインターネットカフェでアルバイトをしていた。通常の勤務は午前中だけなのだが、当日は店のパソコン数台がうまくネットにつながらず、パソコンに詳しい李秀賢さんが修理を続けていた。その帰宅時に新大久保駅で事故に遭った。

知らせを聞いた李秀賢さんの両親が東京に着いたのは、事故の翌日の1月27日夜だった。2人は帰らぬ人となった息子と対面して泣き崩れた。

 

総理大臣と外務大臣が参列

李秀賢さんの通夜は、1月28日の夜、赤門会日本語学校で営まれた。

通夜には、福田康夫官房長官、田中真紀子衆議院議員、JR東日本の社長が焼香に訪れた。

「痛ましい事故をお詫び申し上げます。日韓の親善を築こうとした李さんの死を無駄にしません」

李秀賢さんの両親は、福田官房長官からそう声を掛けられた。

翌28日に行なわれた告別式には、森喜朗総理大臣と河野洋平外務大臣も参列した。

「若い人の見本になるような行動に対して敬意と弔意を表します」

森喜朗総理大臣は李秀賢さんの両親にそう伝えた。

「息子は夢をもって日本に来たのに、その夢を実現できなくて残念でした。でも、日本のみなさんに感動を与えたのだから死は決して無駄ではなかったでしょう。息子を誇りに思うことで心が癒されます」

父親の李盛大(イ・ソンデ)さんはそう語った。

母親の辛閠賛(シン・ユンチャン)さんは憔悴しきっていた。

「悲しみがつのって一睡もできません。こんなに早く死んでしまうのは悲しすぎます」

このように語るのが精一杯だった。

 

現在のJR新大久保駅

現在のJR新大久保駅

「義人」と報道した韓国の新聞

両親は、告別式のあとに新大久保駅を訪れた。李盛大さんが遺骨を抱き、辛閠賛さんが遺影を持っていた。

線路をのぞきこみながら号泣する辛閠賛さん。多くの人が、その姿を見て涙を流した。

亡くなった2人を悼む声が全国に広がった。

とりわけ、日本に語学留学に来ていた韓国人が、日本人を助けようとして命を落としたことがメディアでも大々的に取り上げられた。

李秀賢さんの死は、本国の韓国でも大きく報道された。新聞には「義人」という大見出しが多かった。

金大中(キム・デジュン)大統領は1月29日、「崇高な犠牲精神は韓日国民の心の中に永遠に記憶されます」と語り、韓国政府は李秀賢さんに国民勲章を授与することを決めた。

日本政府も閣議決定により、関根史郎さんと李秀賢さんに賜杯を授与した。

李秀賢さんの遺骨は1月30に故郷の釜山に帰った。その前に、両親は関根史郎さんの母親に電話を掛けてお悔やみを述べた。

母親も、「若い息子さんを亡くして悲しみが深いでしょうに……。外国人が日本人を助けたのだから立派だと思います」と涙ながらに応じた。

 

(中編に続く)
文=康 熙奉(カン ヒボン)
コラム提供:ロコレ
http://syukakusha.com/
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2016.08.12